大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)4887号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕第二、傷害の程度
<証拠>によれば、原告は、本件事故のため頸椎捻挫、外傷性脊髄傷害の傷害を受け、大阪赤十字病院に昭和四一年五月二二日より同年九月九日まで通院した後、国家公務員共済組合連合会大手前病院に、同年一二月一〇日より昭和四二年一月一六日まで通院、同年一月一七日より同年三月二五日まで六八日間入院、同年三月二六日より同年一二月二二日まで通院(通院期間は三七九日間、うち実通院日数は三一日)して、それぞれ治療を受けたこと、そして同年一二月二二日に治療を打切られたが、同病院での診断によれば、その頃、頭痛、不眠、耳鳴りなどの神経症状が著明に残存し、稼働能力が相当な程度に制約を受ける症状を残していた(労災保険障害等級九級程度)が、昭和四五年六月一六日現在では、右上肢の知覚鈍麻、特に右上肢撓側に痛覚鈍麻が著名で、右上肢全体の振戦があるなど、局所に神経症状を残し、また、頭痛、悪心のため通常は労働に差し支えないが、時には労働に差し支える程度(同等級一二級程度)の後遺症が残つた事実が認められ、これに反する措信すべき証拠はない。<中略>
第四、損害
一、休業損害
(事故時の収入)<略>
(休業期間)
原告は事故日より昭和四二年一二月二二日まで二一ケ月間全く稼働できなかつたと主張するけれども、前記第二認定のとおり、原告の受けた傷害はいわゆるむちうち症であり、事故日より昭和四二年一月一七日までは通院して治療を受けていた(但し昭和四一年一二月九日以前の具体的な通院状況については、原告において立証を怠つているが、弁論の全趣旨によれば、その通院回数はさして多くはなかつたものと推認される)にすぎず、その間、原告本人尋問の結果によれば、鹿児島県川内市へ転地療養に赴いたことは認められるけれども、これとても原告の症状につき必要不可欠な治療方法であつたと認めるに足る証拠はなく、かつ、原告方の業種は前記認定のとおり、原告自身の肉体的労働のみによつて収益を得ていたものではないので、以上によれば、事故直後より入院時まで、原告が全く稼働できず、収益をあげえなかつたものとは到底認められない。また、入院期間および退院後一ケ月間ほどは全く稼働しえなかつたとしても、その後昭和四二年一二月二二日まで全く稼働しえなかつたものとも考えられない。以上の各点と、前記第二認定の事実とりわけ昭和四二年一二月下旬頃において労災保険等級九級該当程度の労働能力に制約が存していたが、昭和四五年六月下旬頃には一二級該当程度となり、ほとんどその症状が固定化したものと認められる点などを総合して、事故当時より昭和四二年一月一七日の入院時までの九、六ケ月の間は労働能力が二〇パーセント程度低下していたもの、入院時より退院後一ケ月経過した同年四月下旬までは全く労働しえなかつたもの、同年四月下旬より昭和四五年六月下旬頃までの間は労働能力が三〇パーセント程度低下していたもの、とそれぞれ認めるのが相当である。
二、逸失利益
右のとおり、昭和四五年六月下旬頃には本件事故による原告の後遺症状が固定し、その程度は労災保険等級一二級であり、右がいわゆるむちうち症の後遺症であることからすると、労働能力が一五パーセント程度低下し、その期間は症状固定後三年間継続するものと認めるを相当とする。よつて、原告の症状固定後の逸失利益をホフマン複式年毎計算によりその現価を算定すれば、金五一五、〇七〇円となる。(吉崎直弥)